べてるの理念に魅せられて  

(愛知県精神保健協会からの原稿執筆依頼を転載) 

 

名古屋当事者研究会 主宰者 

 

「べてるの家」との邂逅をしてみたいと思う、

 

出会いはNHKETV特集「生きづらさと向き合って、ある精神科医の挑戦」だった。

発症して3年あまり、飲む薬は効いている実感は少なく、根拠のない不安に苛まれて日常生活もままならず社会に戻れない絶望感が心身に満載していた時に偶然見たその番組は、今までの常識と違う障害者と支援者の絆の強い信頼関係性に驚かされた。

 

その映像は「札幌なかまの杜クリニック」でのユーモアと笑いに満ちた診察風景。

障害者同士が主体的に開催されているデイケア、支援をする人がある時は受ける側にシフトチェンジすることは痛快さを感じる。

当事者が発する一語一語が心に刺さった。

番組後半「浦河べてるの家」が登場、症状に苦しみながらもミーティングで笑顔(口角を上げる程度だが、そこには満足感が感じられた)忘れず自立的共同生活を送っていた。

 

自力更生に躍起になっていた私にとって、自立の持つ意味を考え直すきっかけとなりました。人は社会から孤立しては生きられない。誰もが相互に支援を受けているのでは。

べてるの番組や本は「見るクスリ」であり「読むクスリ」でした。

悩みや苦労を抱える当事者同士のフランクな姿は「土のニオイ」がして私には効き目があった。

 

当事者会(自助会)は3年前から毎月1回午後0時から3時間、名古屋市の公共施設をお借りし開催しています。

一人ひとりがその症状から逃げることなく、後を振り返りながらでも向き合い、べてるの理念を分かち合える当事者との出会いの場を作りたいと願ったことが始めたキッカケです。

当事者研究理念集の輪読から自己病名の発表、ホワイトボードに悩みや苦労を書き込んで共感できる場が出来て参加者同士でワイワイとやっています。

その様子はTwitter(べてるの楽園から)に掲示して参加できなかった方にもシェアしていただけるように心がけています。

詳しく(理念の詳細も含めて)はホームページ(https://nagoya-touzisya.jimdo.com/を参照して下さればありがたいです。

生きづらさを抱えている方ならどなたでもご参加いただけます。開催日はTwitter(べてるの楽園から)に随時掲載しています。当日参加も可です。

 

今日がそして明日が素晴らしい一日であるように。

 

 


「当事者研究はその人の感性から」

 

トボケタコトのように思われるかもしれませんが私にとって「当事者研究は感性」と言う実感があります。

 

当事者研究を言葉だけで綴ると自身が薄っぺらで嘘っぽくなるから。。。。。

第三者にとっては演劇を鑑賞する観客に例えられるかもしれません?

他人事を自分事に置き換える作業があるように思えます。

他者への強い関心が無ければ成り立たない。

 

また、「ベてるの権力」が話題になっていますが、当事者会(コミュニティー)には権力の大小はあると考えます。しかし、それ以上に仲間から救われている、見捨てられていない感覚があるので当事者性は重要なポイントです。

 

それから当事者研究(べてるの家)は随分と持ち上げられすぎだったと思います。

内情は問題山積だったのでしょう。(私は内情に詳しいステークホルダーではないけど)

今回のべてぶくろの責任者の対応(パワハラ)(セカンドレイプ)は非難を受けて当然でしょう。私も被害者の救済を求める1人であると共にべてぶくろの苦労にも寄り添いたい。

 

なぜなら、それだけで終わるのではなく、べてるの理念に立ち返り「当事者研究の毒」が多くの方の工夫と経験を土台にして効き目のある薬になるように、それはシーズ(種)がふかふかの土壌と陽を浴びて芽吹くように、ゆっくりで微かかもれませんが、希望と救済の光明が見えてくるように期待したい。

 

 

 

当事者会主宰者(9/25)

note「当事者研究の毒」へのコメントより

 

 

 

 

 

【愛知県東浦町「愛光園なないろの家」障害者施設殺人事件に寄せて】

先進的と言われたAJU施設での職員による暴行殺人が話題にならない?

 

参照 https://www.asahi.com/articles/ASND672P7ND6OIPE01F.html

https://www.chunichi.co.jp/article/177182

http://www.aikouen.jp/wp-content/uploads/2021/03/%EF%BC%93%E5%9B%9E%E7%9B%AE%E3%81%AE%E9%80%AE%E6%8D%95%E3%82%92%E5%8F%97%E3%81%91%E3%81%A6.pdf

 

「人は見たいものしか見ない」

 

確か脳科学者の中野信子さんだったと思うが、人間の脳は嫌なもの、醜いもの、忌み嫌うもの、関心がないものは無意識のうちに見ないようにバイアスが働くというようなことを仰っていた。

最近、なるほど、誰でもそうかもしれないと思うことがある。

身の毛もよだつ身体拘束、家庭内暴力、性暴力、身体的虐待、パワハラセクハラ等々が当事者会でも時々話題になる。数え上げたらキリがない。

 

また、警察、行政など社会的に権威のある機関からの報道しか信じない、弱い個人の発言は感想というか勝手な言動ぐらいにしか思っていない人が増えてきたように思える。

寒々しい限りだ。

 

見たいものしか見ない理由とは

 

その原因は何だろうか?

・頭でっかちで、現実・現状・現場には関心が薄く、読解力だけで勝負している人が多くいる(増えている?)ように思えてならない。

・自分のことで精一杯で、被害者の涙に関心が持てないのだろうか?

・今までに共感する体験がなかったのかも?

・自分のことを「正解を持っている善人」と思っていて、相手に対して間違っていると糾弾することにだけ関心があるのか?

 

当事者会でよく話題になるキーワードに「社会から求められる正解とは」「人並な普通な生き方とは」がある。そして私たちは「これが正解」「普通の生活」はいと言い合っている。

個々人が悩み苦労の経験の中からこそ、仲間と共に希望などが見出されるかもしれないという思いだ。

また善人ぶることに辟易してい

 

私は無関心ではいられない

 

私はこの脳のバイアスに抗い、無関心ではいられない。

精神医療で大変な思いをしてきた。自分たちのような苦労は自分たちで最後にしたいもちろんこのテーマは難解で大きいが誰かが始めないと後に続かないと思

 

「人として何が大切か」この軸はいつもぶれないように心掛け、ぶれたら直ぐに元に戻すようにしているつもりだ。(ときどきはブレブレかもしれないが)

 

私たちは時として些細な事で感情的に怒り、暴力に訴えるその結果として調子を崩していますその時に同様経験を持つ当事者の知恵とアドバイスはありがたい。救われていると思う。

それは単に言葉とか文章、理屈ではなく、仲間から助けられているという感覚」だから。

 

 

 

【徒然なるままに あるがまま為すがままに】

 

私の当事者会に臨むにあたっての心のスタンスは「みんな違って、みんな一緒」

時々揺らぎますが、最近はこんな感じ。

言葉遊びのようで何を言っているのか分からないかもしれません

その真意は11人の性格、症状(病名)、年齢、悩みと苦しみの度合いは違っているが、根拠のない苦しみ、イライラ感、孤立感は一緒なのではないか?

もっともっと多くの違いと一緒はあると思う。

そして当事者会には「場の力」があり「人薬」を頂いているのだと思っています。

またまた訳の分からない事を言っているかもしれません。

当事者会はリアルであれオンラインであれ参加者の皆様の悩みから「回復へのベクトルと生きるヒントが見えてくるような気がする」

また、「聴くクスリ」であったりする場合がありますが決して効果を狙ったり求めたわけではありません。

何かしらの無意識のうちにハプニングとアクシデントの積み重ねでした。

長々ととりとめのない話になってしましました。

当事者会に参加された皆様が今日一日が幸せな日々であることを祈念してペンを置きたいと思います。

  

 

 

 

神の愛はそれを信じない者にも及ぶ」

 

私の心に残る映画の一つにフェディリコ フェリーニの「道」ra sradaがあります。

今から70年程前の映画でご存じないかもしれませんが、人の道とは何かがメインテーマでした。

人身売買、性暴力、教会の施し、発達障害者と社会環境、村祭りとサーカス芸人の仕事、精神障害者の居場所などが随所に普通に何処にでもあるような情景として表現されています。

監督のフェリーニがかつて見た風景だったそうです。

私の心は全くやりきれないほど辛く苦しくなると共に、イタリア人の障害者への決して見過ごさない眼差しは、バザーリア法が採択されるかなり以前から連綿と繋がっていたような気がしています。

フェリーニはこの映画を製作中ずっと「神の愛はそれを信じない者にも及ぶ」と念じながら作ったと言う。

そして主人公のひとりジェルソミーナは路傍の石に何かしらの役割があることに気づく。

 

神の愛とはたとえ目に見えなくてもいい、無償であり、人と人を知らず知らずの内に結びつける奇跡のようなもの、我執にこだわり即物的な人にも、教会で賛美歌は天使の声として天井から降ってくるように、禅寺の龍の天井画からあまねく雨が降るようなものかもしれません。

 

私淑している糸賀一雄さんはWELFARE(福祉)を直訳すると良い切符だという、個々人にとっての良い切符とは、きっと「神の愛」の施しと受容かもしれないと思う今日この頃。

 

 

令和三年七月三日 亡き父を思いながら

 

 

 

【2020年を振り返って】

 

忘れられない年になってしまいました。

恐らく来年も大変混乱すると思います。

例年のように「良い年をお迎えください」と言う慣用句は嘘っぽいし他人事のように感じられる。

それは新型コロナウイルスが原因である。

発生当初、誰がこれ程長引くと思っただろうか?

私自身は「訳の分からない状態は精神障害で慣れているから対処の仕方は分っているから」とたかをくくっていました。

しかし、目論見は大きく狂いました。

職場は感染拡大の不安に汲々とし、色々な対策にその根拠の説明のないまま右往左往して混乱しました。

職場全体のイライラ感はハラスメント(嫌がらせ、いじめ、いびり)に直結しました。

もう使命感だけでは体を壊すと思い避難的離職をしました。

辞めると決めると、不思議と退職理由がボロボロと浮かんできました。入職当初からパワハラ受けていたことに今更ながら気付く今日この頃です。

 

次は「べてぶくろ性暴力事件」「北岡賢剛氏のセクハラ告発」だ、

障害者福祉の中で発生したスキャンダル。まさかまさかの事態だった。

福祉現場はパワハラ、セクハラの温床、べてるの家の悪者扱いがやり切れない。

べてぶくろ責任者である宣明さんの対応(向き合い方)とべてるの利害関係者のとりなしの無さ(少なさかも?)にイライラが募った年の瀬となった。(べてる関係者に危惧を伝えたが宣明さんまで伝わらなかったのだろう)

また、私淑している糸賀先生のお膝元(滋賀県)で先生の理念を体現していると言われた北岡氏が性的嫌がらせで告発された。

これにはかなり参っています。

障害者福祉におかしな色がつかないように切に切に願うばかり。

 

名古屋当事者研究会 主宰者〔12/25〕

 

 

 

 

 

 

 

「清濁併せ吞む」とは

 

当事者会(自助会)では気の合う人との会話(忖度して同じベクトルで話す)は涙が出えるほど充実があり至福の時に出会えますが、感じの悪い人、合わない人との対話こそ自分の鏡かも知れません。それは相手の言動が理解できなくても関心を示し興味を持ち続けているうちにお互いが楽しめる瞬間(シンクロしたか錯覚か?)が時にはあるんですね。(もちろん、全く合わず離れていく場合もあります)

 

合う合わないはあまり問題と思わないようになってきました。 「そういう人がいるんだ」という感覚が強くなってきました。

 

2022/2/22

 

 


野幌森林公園にて2022・9

 

 

「べてるの源流を訪ねて」序編 

 

どうやら「現場へ行き、現物を見て、現実を知る」と言うクセがまだ私に残っているようだ。

念願の札幌なかまの杜クリニックを訪問した。

先ずはそれまでの経緯を述べてみたいと思う。

きっかけは8年前のNHK ETV特集「生きづらさと向き合って」~ある精神科医の挑戦~というドキュメンタリー番組を偶然に見たことだった。

根拠のない不安に怯え、寝たきりと引きこもり気味だった私には札幌は全く逆の治療方法に思えた。

映像からは患者と医師の心理的近さがあり、また何よりも患者同士の強い繋がりにあこがれと畏怖は衝撃と言っていい。

それまで受けた医療とは薬を処方してハイ終わり的だった、薬物治療による対処療法では心の渇きは癒せない、もっと深遠な生き方探しが私には必要だった。

そしてここには救済のプログラムがあるかもと感じた。

 

その後、図書館でべてる関係の本を乱読した。なぜなら自分のこれからの生き方のヒント(本丸かも)がその中にあるような気がした。

また、当地の福祉支援(地域生活支援、地域活動支援)では「当事者研究をやってます」と看板を出していてもその思想のコピーにすぎず死んでいるように思えて馴染めなかった。

そのうちにネットから名古屋の障害者自助会の存在を知りよく参加した。

ミーティングで浦河べてるの家の理念を当事者の立場で名古屋で仲間と共に広めたい思いに駆られ会の当事者に説明し回ったがあまり反応は良くなかった。

 

6年程前から市営スポーツセンターの会議室を借りて月一回のべてるの理念ミーティングを取り入れた自助会を一人で始めた。

恥ずかしくて誰にも告知せず始めたので会場でひとり理念を唱和していた。あまり寂しいとか感じず理念読み返しから何かを感じられればいいぐらいの感じで始めた。

 

5年前、ネットにて名古屋で当事者研究全国交流集会が開催されることを知り運営委員長の南部さんに頼み込み運営委員にもぐり込む(運営委員会はその1年前から活動していて私は新参者だった)

そのうちに分科会の詳細を詰める段階で私なりのべてるの理念を体現する分科会を開催したくなり運営委員会に3か月ほどかけて説明して了解を得た。(向谷地さんがわざわざ一人で名古屋へ来てべてるの理念を説明してくれたことが大きかった)

そして分科会開催のため仲間を募ったなかで真っ先にリクルートしたのが札幌なかまの杜クリニックのKさんだった。

以前、大阪大会の会場での振り返りの時の彼の言動が頭に残っていて(私も手を挙げて同じことを言おうと思っていて同じ雰囲気がした)浦河べてるの家を通じて分科会運営の依頼をしてもらった。

Kさんから快く引き受けてもらいそれから開催日までの3か月間毎週オンラインにてLINE会議を開いた(お互いの意思の疎通というか「べてるな人々」との対話による当事者研究みたいなものは私にはかなり効いた。謦咳に接すると言ったら大げさだがオンラインでも毎回感動もので私の生き方探しに多大な影響があった)

 

彼の言い方はかなり辛辣に思えて辛い思いもしたが今になって振り返ると鍛えられた気分だ。

そしてそれまでの幻覚を含む辛い気分は軽減の一途をたどることになる。焦りから「無呼吸泳法型思考と行動」という自己病名を付けていたが、この日を境に諦めと脱力が感じられるようになってきた。

私にとって理念は単なる知恵であり、いつの間にか消え去ることもあるが、彼との繋がりは私のストーリーに組み込まれたピースで私が存在する限り消え去ることはないと思う。

 

名古屋大会が終わり4年が経ち今頃になって感謝の言葉を書くことは気の抜けたサイダーみたいなものかもしれないが、やっと俯瞰して自分をみられるのに4年掛かったと理解してほしい。

今回、彼の調子が悪く会わずじまいだが、また再訪してみたい。繰り返しになるが彼の言動は私とシンクロする部分が多いのである。

 

そして言い尽くせない感謝の思いがある。

 

2022.10・29 名古屋当事者研究会 主宰

(名古屋当事者研究会から交通費宿泊費として補助をいただきました)