札幌野幌森林公園にて2022年秋 

 

 

上村松園「牡丹雪」から 

 

ぼたんゆきは重く、冷たい。

 

希望の灯は中々見えてこないが、歩みを止めてはいけない。

 

  べてぶくろで二次被害に遭われた方へ

 

べてぶくろの謝罪声明文がでて、日本学術会議若手アカデミー講演会での向谷地さん、熊谷さんの声明を聞くにつ、事実が少しずつ白日の下にさらされてまいりました。

何の落ち度もない被害者にとって、事件発生から五年の月日は決して癒えることなく、むしろ触れたくもない苦悩の再確認の日々だったろうと思います。

また、ご自身の心の中を公言し熟成させる時間が必要だったのかもしれません。

被害者の涙にそっとハンカチを出せる人でありたいと思います。

性被害に目を背けたり関心を示さなかったべてぶくろの関係者、とくに責任ある立場の人には不作為の罪を感じます。声明の後報がなかなか出て来ないようですね。当事者同士の和解に向けての進展を希望します。

 

私たちはべてるの理念と当事者研究が決して絵空事ではないことを信じています

理念先行もしくは独り歩きではなく、私も含め個々人が理念を良く噛みしめ理念に縛られるのではなく「人として何が重要か」を考え直すきっかけになればと思っています。

pirosmanihanacoさんの勇気を強く支持しています。

 

pirosmanihanacoさんの「べてるの家」をご存じですか?より

https://note.com/pirosmanihanaco/n/nd9d01a11a64e

 

名古屋当事者研究会 主宰者(7/31)

 

 追伸 (私のこと)

 

ある会員から「なぜ、それほど肩入れするの?会としては保留でいいんじゃない」とのご意見をいただき「そんなに力が入っているのかナ?」

思い返してみると、キモイかも知れませんが、hanacoさんの後ろ姿に自分を重ね合わせていたような気がします。

同化することのない後ろ姿とは、私も介護ヘルパーだったから。

障害を持つ身で他者の障害に向き合うとき、その症状の陰に隠れた奥深く微かで豊かな世界を利用者から学ばせていただきました、

また、医者と患者の関係では見えてこない事(薬、治療、症例)も職場だと医者と職員の関係(一部のドクターとは胸襟を開いた関係性が出来ていた)から本音が垣間見れたりして、毎日が刺激的な新しい発見の連続でした。

当事者会で「介護職は天職だ」と言って憚らなかったわたしはパワハラに耐え兼ね退職しました。

本当に本当に道半ばで辞めたくなかった。

職場の歪な人間関係と利用者から感謝され楽しく過ごすギャップの日々に闘い苦しんだ。

 

そんな私からお伝えしたいことは孤立と連帯はきっと並立すると思います。

今は暗雲立ち込め、先が見通しにくいかも知れませんが、この騒動の後には福祉現場の閉鎖性が改革されることを信じて。

 

べてるは決して内向きではないことを信じて。

 

いつの日か窓の外に澄み切った青空が見えるように。

 

名古屋当事者研究会 主宰者 (8/17,8/30加筆)