名古屋当事者研究会(当事者会)

生きづらさと向き合って

西行戻しの松から松島を望む

 

~べてるの楽園から~

 楽園とは何でしょうか。

私達は誰もが障害の別け隔てなく笑顔で喜びと感謝に満ちた社会だと思うのです。

精神病(♯双極性障害♯統合失調症♯うつ病♯発達障害)を個々の問題と捉えるのではなく、社会の病と考えられないでしょうか?

私達には「社会性の障がい」があるかもしれませんが同じ社会で生きたい人間なのです。

自助会にご参加され,症状を仲間の力を借りて見つめ直すキッカケになればと思います。

北海道浦河の「べてるの家」について共に学びましょう、一人一人が幸せを求めて。

 

 

  


【当事者会開催のお知らせ】
久しぶりの毎月開催
日時 4/22(月)午後12時10分~午後3時
場所 名古屋市中区伏見  名古屋中スポーツセンター2F 第二会議室 nespa.or.jp/facility/naka_
参加費 300円
生きづらさを抱えている方ならどなたでも

当事者会2024.3.17のあらまし

 

昨年夏、向谷地さんから「ところで楽しいことあるの?」と問われ、言葉に詰まった私だが、今は言える「仲間との苦労話です」と

きょう何カ月ぶりかで当事者会を開催(二時間ぐらい)

 

その内容は

・職場での人間関係あるある

・他所の当事者会について

・べてるの家の理念の輪読と感想会

休憩をはさんで

・当事者研究の理念の輪読と感想会

・精神障害者家族会の評判とうわさ

・気の合うカウンセラー

・今日の感想と振り返り(私は音読がきつい)

 

次回開催はまだ未定です


 札幌なかまの杜クリニックデイケア終了後に中島公園を散策

 

 

「べてるの源流を訪ねて」その序 

 

どうやら「現場へ行き、現物を見て、現実を知る」と言うクセがまだ私に残っているようだ。

念願の札幌なかまの杜クリニックを訪問した。

先ずはそれまでの経緯を述べてみたいと思う。

きっかけは8年前のNHK ETV特集「生きづらさと向き合って」~ある精神科医の挑戦~というドキュメンタリー番組を偶然に見たことだった。

根拠のない不安に怯え、寝たきりと引きこもり気味だった私には札幌は全く逆の治療方法に思えた。

映像からは患者と医師の心理的近さがあり、また何よりも患者同士の強い繋がりにあこがれと畏怖は衝撃と言っていい。

それまで受けた医療とは薬を処方してハイ終わり的だった、薬物治療による対処療法では心の渇きは癒せない、もっと深遠な生き方探しが私には必要だった。

そしてここには救済のプログラムがあるかもと感じた。

 

その後、図書館でべてる関係の本を乱読した。なぜなら自分のこれからの生き方のヒント(本丸かも)がその中にあるような気がした。

また、当地の福祉支援(地域生活支援、地域活動支援)では「当事者研究をやってます」と看板を出していてもその思想のコピーにすぎず死んでいるように思えて馴染めなかった。

そのうちにネットから名古屋の障害者自助会の存在を知りよく参加した。

ミーティングで浦河べてるの家の理念を当事者の立場で名古屋で仲間と共に広めたい思いに駆られ会の当事者に説明し回ったがあまり反応は良くなかった。

 

6年程前から市営スポーツセンターの会議室を借りて月一回のべてるの理念ミーティングを取り入れた自助会を一人で始めた。

恥ずかしくて誰にも告知せず始めたので会場でひとり理念を唱和していた。あまり寂しいとか感じず理念読み返しから何かを感じられればいいぐらいの感じで始めた。

 

5年前、ネットにて名古屋で当事者研究全国交流集会が開催されることを知り運営委員長の南部さんに頼み込み運営委員にもぐり込む(運営委員会はその1年前から活動していて私は新参者だった)

そのうちに分科会の詳細を詰める段階で私なりのべてるの理念を体現する分科会を開催したくなり運営委員会に3か月ほどかけて説明して了解を得た。(向谷地さんがわざわざ一人で名古屋へ来てべてるの理念を説明してくれたことが大きかった)

そして分科会開催のため仲間を募ったなかで真っ先にリクルートしたのが札幌なかまの杜クリニックのKさんだった。

以前、大阪大会の会場での振り返りの時の彼の言動が頭に残っていて(私も手を挙げて同じことを言おうと思っていて同じ雰囲気がした)浦河べてるの家を通じて分科会運営の依頼をしてもらった。

Kさんから快く引き受けてもらいそれから開催日までの3か月間毎週オンラインにてLINE会議を開いた(お互いの意思の疎通というか「べてるな人々」との対話による当事者研究みたいなものは私にはかなり効いた。謦咳に接すると言ったら大げさだがオンラインでも毎回感動もので私の生き方探しに多大な影響があった)

 

彼の言い方はかなり辛辣に思えて辛い思いもしたが今になって振り返ると鍛えられた気分だ。

そしてそれまでの幻覚を含む辛い気分は軽減の一途をたどることになる。焦りから「無呼吸泳法型思考と行動」という自己病名を付けていたが、この日を境に諦めと脱力が感じられるようになってきた。

私にとって理念は単なる知恵であり、いつの間にか消え去ることもあるが、彼との繋がりは私のストーリーに組み込まれたピースで私が存在する限り消え去ることはないと思う。

 

名古屋大会が終わり4年が経ち今頃になって感謝の言葉を書くことは気の抜けたサイダーみたいなものかもしれないが、やっと俯瞰して自分をみられるのに4年掛かったと理解してほしい。

今回、彼の調子が悪く会わずじまいだが、また再訪してみたい。繰り返しになるが彼の言動は私とシンクロする部分が多いのである。

 

そして言い尽くせない感謝の思いがある。

 

2022.10・29 名古屋当事者研究会 主宰

(名古屋当事者研究会から交通費宿泊費として補助をいただきました)

 

 

 


沖縄の夕陽

 

 

 

「当事者研究はその人の感性から」

 

トボケタコトのように思われるかもしれませんが私にとって「当事者研究は感性」と言う実感があります。

 

当事者研究を言葉だけで綴ると自身が薄っぺらで嘘っぽくなるから。。。。。

第三者にとっては演劇を鑑賞する観客に例えられるかもしれません?

他人事を自分事に置き換える作業があるように思えます。

他者への強い関心が無ければ成り立たない。

 

また、「ベてるの権力」が話題になっていますが、当事者会(コミュニティー)には権力の大小はあると考えます。しかし、それ以上に仲間から救われている、見捨てられていない感覚があるので当事者性は重要なポイントです。

 

それから当事者研究(べてるの家)は随分と持ち上げられすぎだったと思います。

内情は問題山積だったのでしょう。(私は内情に詳しいステークホルダーではないけど)

今回のべてぶくろの責任者の対応(パワハラ)(セカンドレイプ)は非難を受けて当然でしょう。私も被害者の救済を求める1人であると共にべてぶくろの苦労にも寄り添いたい。

 

なぜなら、それだけで終わるのではなく、べてるの理念に立ち返り「当事者研究の毒」が多くの方の工夫と経験を土台にして効き目のある薬になるように、それはシーズ(種)がふかふかの土壌と陽を浴びて芽吹くように、ゆっくりで微かかもれませんが、希望と救済の光明が見えてくるように期待したい。

 

 

 

当事者会主宰者(9/25)

note「当事者研究の毒」へのコメントより

 

 

 

 






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城山八幡宮の左近のロウバイ(2021年2月撮影)